夏目漱石「吾輩は猫である」(画:野歌つぐみ)

第1話
吾輩は猫である。名前はまだ無い。"運を天に任せて"第一に逢ったのがおさんである。
これは前の書生より一層乱暴な方で吾輩を見るや否やいきなり頸筋をつかんで表へ抛り出した。
いやこれは駄目だと思ったから眼をねぶって運を天に任せていた。


第2話
"好奇心"
吾輩もちょっと雑煮が食って見たくなった。
吾輩は猫ではあるが大抵のものは食う。
あれは嫌だ、これは嫌だと云うのは贅沢な我儘で到底教師の家にいる猫などの口にすべきところでない。
だから今、雑煮が食いたくなったのも決して贅沢の結果ではない、
何でも食える時に食っておこうという考から、主人の食い剰《あま》した雑煮がもしや台所に残っていはすまいかと思い出したからである。


第3話
"女性の影響"
三毛子はこの近辺で有名な美貌家である。
吾輩は猫には相違ないが物の情《なさ》けは一通り心得ている。
気分が勝《すぐ》れん時は必ずこの異性の朋友の許を訪問していろいろな話をする。
すると、いつの間にか心が晴々して今までの心配も苦労も何もかも忘れて、
生れ変ったような心持になる。


第4話 
”我が輩は運動を始めた”
吾輩の運動はいかなる種類の運動かと不審を抱く者が
あるかも知れんから一応説明しようと思う。
ただ四本の足を力学的に運動させて、大地を横行するのは、あまり単簡で興味がない。

勿論ただの運動でもある刺激の下にはやらんとは限らん


第5話
"天地を粉韲《ふんせい》して不可思議の太平に入る"
どうせいつ死ぬか知れぬ命だ。何でも命のあるうちにしておく事だ。
死んでからああ残念だと墓場の影から悔やんでもおっつかない。
思い切って飲んで見ろと、勢よく舌を入れてぴちゃぴちゃやって見ると驚いた。
何だか舌の先を針でさされたようにぴりりとした。